drkreisleriana’s diary

専門職、40代。好きな事や自分の身体のこと、気付いた事を素直に書きます。

不安との戦い方

不安で不安で...って思う自分に対して

もう一方であれって思う自分がいる。

もしかして自分でわざわざ不安を探し出していないか?

あるときはすごく気になっていたことが、今は全然不安じゃないのに

何かが気になり始めると不安、不安って言い出す始末。

もしかして、暇だとマインドワンダリングし始めて自ら不安を探してやいないか?

疲れ果ててこんこんと寝ているときならきっと不安なんて探せない。


努めて冷静に自分の傾向を探ってみる。

そして他の方の記事も読んでみた。

その中でもう一つ気づいたことがある。

不安障害の人のブログを読むと思い至る傾向が似ているし

そして、なぜか自分を責めている。

こんなになるのはわかってるのに、こうしてしまった、とか。

私が読んでいても、いいのに、そんなこと気にしなくて、がんばっているのに、って応援したくなるくらい。

 

不安に不安を重ねているから、いくら幸せを感じていても、

いつか訪れるであろう不幸を何度も繰り返し心配することで

知らぬ間に再体験してイメージを増幅してしまう。

そして本当に自分は不安なんだ、って追い込んで

克服する方法のない不安をたくさん数えて人生を怖がっている。

 

そして、そんな繰り返し不安を探す自分を責める自分。

なんてメンタルが弱いんだとか、どうして自分一人で生きていけないのだとか、

なぜ強くなれないんだとかとか、いつまで経っても変われないとか、

自分のことを誰より責めている。しかも知らないうちに。

これが思考の癖みたいなものになっている。

 

おそらく自分を責め続けて、克服したいのだろうし幸せになりたいのだろう。

不安だからこそ不安を解消したいのだろう。

 

だけど、解消できる不安とか悩みはどんどん解消している。

解消したことは忘れてしまっている。

例えば仕事のこと、お金のこと、家族のこと

できることはたくさん取り組んでいる。

だけど、将来の問題とか、死についてとか

そんな今どうしようもならない漠然とした不安に

なぜか取り組もうとする自分がいるのだ。

 

それは克服できないし、不安が不安を呼んで

ずっと自分を責め続けたら、メンタルが長年持つはずないのではないか。

 

客観的にみて自分を責める必要なんてあるのだろうか。

不安を持っても持たなくても

やってくる事実はかわらないのではないか。

 

それなら、その日まで無理せず人として幸せに過ごせばいい。

本当に辛くても辛くなくても

いつか目を閉じるその時に全てを終わりにできるのだから。